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と、一向にそんなことを知らない房一が云つた。
「誰?相沢の知吉さんかね」
それは正文にかゝりつけの患家だつた。
が、練吉が駆け登つたのを見ると、先方の男は急に威丈高になつて怒鳴つた。
彼はもう少しで最も善い友人に向ふやうに考へごとを打ち明けるところだつた。
日は高く上つて、噎むせるやうな温かい空気が、時々、風の工合で河原の方からやつて来た。徳次も切り上げて来た。三箇の魚籠びくを中にして、頭を並べて獲物を見せ合つた。
房一はきつぱり云つた。男は、これは話が判る、といふやうな顔をした。それに押つかぶせるやうに、
河原町の対岸に俗称河場と云ふ地名の部落があつた。そこは現在では河原町の区域に入つているが、昔は他領であつた。純粋な農家、主として自作農ばかりの集りで、対岸の町から眺めると、藁葺の低い屋根が樹木の間に背をこゞめているやうに見えて、そこに住んでいる人達は、河原町の人々が、田舎に似ず一種洗練された身なりや顔つきなのにくらべると、明らかに泥臭い、鈍重な身ぶりであつた。その農家の中で一軒だけ瓦葺きの、構へも他の家より稍大きな家があつて、これが此の物語の主人公である房一の生家、高間家であつた。
「さう、知つてる、知つてる」
練吉は盃を口にふくみながら答へた。
「さうだ。大したことはない」
その時、練吉はぐつと盃をつきつけた。
男の顔は泥と血で汚れ、かすり傷が一面についていた。顎の所にかなりひどい裂傷があり、血糊が固くこびりついていた。どこか打撲傷をうけたらしく、一見したところ気息奄々きそくえんえんとしていたが、房一が手拭をとり除いたときに、男はかすかに眼を開けて房一の顔を見た。